民泊との出会いで人生を救われた男 Sokaさん 「寛容宿所」で世の中に小さな驚きと幸せを

「民泊大学」の講義が始まります。今回の教授は、合法民泊(簡易宿所・寛容宿所)

「日の出ハウス」を運営しているSokaさんです。  

民泊始めたきっかけは?

私はもともと六本木にあるゲーム会社に勤務していました。元上司から声がかかってその会社に転職したのですが、半年近く勤めた末あまりの過酷さに精神的に参ってしまい体が動かなくなりました。

数ヶ月の休職を経て一向によくならなかったので最終的には2016年の12月に退職しました。

その際に同業の知人たちから会社を紹介するという声をいくつかかけてもらったのですが、自分だけは大丈夫だと思っていても一度倒れている以上、もし受け入れてもらってもまた迷惑を掛けてしまうという思いもあり、転職という選択肢はありませんでした。

そうは言っても、直近数年の仕事が順調だったこともあり、2013年に新築を購入したばかりでした。二人の子供と専業主婦の妻を養いながらそのローンを払わなければならないという状態だったので、家族を養うためには家を売るという苦しい選択を迫られました。

家だけは売りたくない、家族と一緒に生活してきたこの家を守りたいとう僅かな願望から、退職する直前の時期から情報収集でたくさんの不動産屋さんを訪問していたところ毎月25万ぐらいで貸すことはできそうだと言われたのですが、ある不動産会社に行った時に民泊をやったほうがいいと言われて初めて「民泊」の存在を知りました。

それまでは「民泊」というワードすら聞いたことすらなかったのですが、不動産屋から出してもらった利回りシュミレーションはとんでもない数字になったので、そんなうまい話があるのかと思って民泊について本腰を入れて調べ始めました。

最初に法律的観点から調べてみたところ、旅館業法に則っていない場合、民泊はほぼ違法ということだったので踏みとどまりましたが、大田区で特区民泊というものがあるということを知ったので、大田区の物件で運営しようと思いました。しかし、最低宿泊日数が6泊7日というハードルの高い縛りがあるということに気づいてやめました。

その際に、もう選択肢がほとんど残っていない状態で船橋の実家があることに気づいて、調べてみると準工業地域だったので、民泊の運営として利用できないか親に提案したところ船橋駅から徒歩23分もかかるこんなところはに誰もこないと言われた反対されていました。しかし、初期費用的に大きく損もしないからということで頼み込んで、説得しました。

2階に空いてる3部屋があり、親も住んでいるので管理人ということで居させる有人型の民泊運営を行うことを決心しました。

保健所や消防署に相談したら自動火災報知器の設置のみで大丈夫そうだったので、すぐに手続きを開始して2017年の3月後半には許可を得ることができ、Airbnbに掲載して営業開始しました。

自動火災報知器さえつければいいということで申請して1〜2ヶ月で承認が得られたのは、今東京で進めている簡易宿所案件と比較すると、非常にラッキーだったと思います。

次に私が行なったことは、Facebookのグループなどに参加し、日の出ハウスの存在を知ってもらうとともに、民泊関連の方と友達になって情報収集に努めました。

その際にとあるFacebookで知り合った方からのメッセージでBooking.comの存在を知って、掲載したところ予約が一気に増えて安定し始めた。

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