【復刻・民泊革命(第3回)】 民泊、運営したらどうなる?(2)

1年4ヶ月間、2016年1月11日号から2017年4月24日・5月1日号まで計64回にわたって不動産業界紙「週刊住宅」に連載された「民泊革命」。掲載用に編集前の元原稿を民泊大学ウェブサイトで復刻し、過去に取り上げた事実が現在どうなっているか、著者のコメントを合わせて掲載します。

スーパーホストの先生役は大学生

 前回民泊仲介サイトの最大手Arirbnbでは、3か月ごとにホストの成績が審査され、一定条件をクリアしたホストがスーパーホストと呼ばれると書いた。このスーパーホストの先生役になる人をスーパーホストオーガナイザーと呼ぶ。大学を昨年3月に卒業したジャックさんは、昨秋までそのスーパーホストオーガナイザーだった。

 ジャックさんが民泊をスタートしたのは2013年の夏。大学3年生の時にことだった。就職活動に向けて、日経新聞を読み始めた。すると、2008年にアメリカで生まれ、急成長するAirbnb社の記事が目に留まった。

「これだ」

 シェアハウスに住んでいて、元々他の学生と部屋をシェアしていたジャックさんは、1Kの部屋に移り、2段ベッドと布団を置いて、最大4人が泊まれるような形で民泊をスタート。スカイツリーのそばにあったせいもあり、稼働率は8~9割を維持できた。家賃10万円で、売上の平均は15万円。家賃が浮いて、生活の足しになった。


パリのテロで途方に暮れた時、助けてくれたのは

 Airbnbのホストをしてみると、刺激に満ちた生活が待っていた。日本での事業立ち上げのため、長期にわたって調査しに来たアメリカのビジネスマンがいた。ビジネスの話をしていると、自分も何か事業を立ち上げたいという気持ちが強くなるのを感じた。

 宿泊するゲストとの会話は、英語。以前住んでいたシェアハウスは、日本人ばかりで、全く英語の勉強にならなかった。ホストをして英語を使うことで、英語でコミュニケーションする自信が生まれた。

 そうした中で、徐々にホストが増え始めた。Airbnbは、スーパーホストのコミュニティを作って、互いに助け合うことを推奨。先輩格だったジャックさんがオーガナイザーになった。

 昨年11月には、「Airbnbオープンinパリ」に参加。Airbnbの創業者や社員を初め、世界から6000人、日本から100人のホストが集まった。世界の人と交流を深めていた2日目の夜。パリでテロが起こった。3日間だった残りのイベントはすべてキャンセル。帰れなくなった人のため、Airbnbは宿の提供を呼びかけ、関係者は安否情報をフェイスブックで流した。

 ジャックさんがどこにも外出できないとあきらめかけた時、ジャックさんの家に泊まったことのあるフランス人がエスコートしてくれることになり、安全な場所を観光案内してもらえた。ホストをやってよかったと思えた瞬間だった。

 ジャックさんは、卒業前2LDKの部屋に替わり、民泊の利益が10万円以上になるようにした上で、就職するのをやめ、起業することにした。

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